鈴木壯兵衞

すずきそうべえ

そうべえ国際特許事務所

[ 弘前市 ]

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コラム

 公開日: 2015-03-09  最終更新日: 2016-11-26

第13回 ピケティの『21世紀の資本』と特許制度の役割

初代特許庁長官は「日本のピケティ」と称される仙台藩士であった

§1 ピケティの r > g を回避するのには技術が重要

rを資本収益率、gを世界の産出と所得の成長率としたとき、歴史的な傾向としてはr > gとなり、格差が過大になる方向に進むとフランスの経済学者トマ・ピケティ(Thomas Piketty)は警告している(トマ・ピケティ(著), 山形浩生他(翻訳), 『21世紀の資本』みすず書房)。

ピケティは、資本収益率rが産出と所得の成長率gを上回るとき、資本主義は自動的に、恣意的で持続不可能な格差を生み出すと指摘している。ピケティがr > g を回避する対策として『21世紀の資本』で提案しているのは累進課税である。



しかし、このピケティのr > gの理論には「イノベーションのペースが遅い」という前提がある。ピケティ自身も認めているが、過去においても世界算出の成長率 g を大きくすることによって経済成長率を引き上げ、r > g を回避した例もあることを看過してはならない。成長率 g を大きくするために、最も有効なのは技術である。

この点に関し、ピケティは「技術の気まぐれ頼みでは不十分だ」と指摘している(『21世紀の資本』p243)。

§2 我が国では民法施行前に特許制度ができ、それは明治憲法発布前でもあった

理論にはその前提となる境界条件を考慮する必要がある。ピケティの前提を考慮すれば、格差が過大になるのを防止する最も有効な手段は技術であることが理解できる。実は、この技術の重要性、特に特許制度に対し非常に着目し、「気まぐれ頼みではない技術」を指向したのが、『花燃ゆ』の松下村塾の弟子を含む明治政府の最高指導者達たちである。

先ず、明治政府は明治元年(1868年)4月に、江戸幕府が開設した横須賀製鉄所を横須賀造船所として接収し、民部大蔵省の所管とした。明治3年には工部省が設置される。

工部省事務章程七ケ条には、工学の開明、工業の勧奨、鉱山の管轄、鉄道・電信・灯台・礁標の建設、船渠の製造、金属の精錬と器械の製作、陸海の測量の7項目が定められ、明治政府の「近代化政策を代表する殖産興業政策」が明確になる。横須賀造船所は民部省を経て、工部省の所管となった。

そして、明治4年に我が国最初の特許制度となるはずであった「専売略規則」が制定されたが、残念ながら、特許を審査する審査官のめどが立たず廃止されてしまった。

大久保利通は明治4年~6年の岩倉使節団で半植民地状態となっているエジプト、トルコ、インド等を視察し圧倒的な帝国主義を感じていた。実は、エジプトは総督ムハンマド・アリー(在位1805~1849年)の時代には、既に日本に約50年先駆けて富国強兵・殖産興業が推進されていたのであったが、1839~1840年の第2次エジプト・トルコ戦争に敗れた後、植民地型の国際分業の中に組み込まれていたのである。

明治7年の『大久保利通の殖産興業に関する建議』には以下のように記載されている:

「大凡国の強弱は人民の貧富に由り、人民の貧富は物産の多寡に係る。而して物産の多寡は人民の工業を勉励すると否さるとに胚胎すと雖も、其源頭を尋るに未た嘗て政府政官の誘導奨励に力に依らさるなし。(以下省略)」

大久保利通はプロシア(ドイツ)の鉄血宰相オットー・フォン・ビスマルク(Otto von Bismarck)の殖産興業に心酔していたという説もある。ビスマルクは大久保ら使節団一行に「小国がその自主の権利を守ろうとすれば、その実力を培う以外にない」と述べたと言われている(加来耕三、『不敗の宰相 大久保利通』、講談社+α文庫、p312-319、1994年)。ただし、『大久保利通の殖産興業に関する建議』では、ドイツではなくイギリスをモデルとすべきと記載されている。

なお、明治6年の政変における大久保利通の征韓反対意見書にみられる「殖産興業」論の原型は、橋本左内や横井小楠が、越前藩(福井藩)の藩主松平春嶽に宛てた意見書の中に見出すことができるとされているが(佐藤昌介他編『日本思想大系55』,岩波書店,p438-50,p538-39、1971年)、明治維新の「殖産興業」の背景には、幕末における藩校、私塾や寺小屋等の存在も忘れてはならない。

天才と言われた橋本が安政の大獄(1858-1859年)により安政6年(1859年)に25歳で没してから後、横井は万延1年(1860年)に『国是三論ー富国論』を著し、維新以前に既に「殖産興業」を推進し始めていた。横井は維新後の明治政府で参与として活躍するも明治2年(1869年)に暗殺される。

殖産興業の思想は、会津藩士山本覚馬が幽閉中に口述筆記し、慶応4年(1868年)6月に新政府宛てで提出した「山本覚馬建白(通称、『管見』)にも見られ、横井小楠の『国是三論ー富国論』を更に発展させた内容になっている。

§3 明治13年の青森県の今野久吉さんの発明


江戸時代の末期から明治の初期、青森県(弘前鍛治町)に今野久吉(こんの・きゅうきち)さんという商人の発明家がいた。明治13年の10月9日の「朝野新聞」の3面には、以下のように、今野久吉さんが発明した防盗機械(除盗電電機)を有栖川宮家に取り付けて公式試験をしたところ、すこぶる好成績で有栖川宮熾仁(たるひと)親王殿下から今野久吉さんが褒められたと報じた記事がある。残念ながら、苦心の発明品は火事により焼失し、その後の今野久吉さんの消息は不明だそうである。



朝野新聞(ちょうやしんぶん)は元仙台藩の大槻磐渓が社長の成島柳北に協力して明治7年に創刊され、社屋を東京銀座4丁目の現在の和光の場所においていたが、明治25年に廃刊となってしまった。大槻磐渓は吉田松陰から米国への密航の方法について相談を受けた人物である。今野久吉さんの話は一例ではあるが、明治4年の「専売略規則」が廃止されてしまった後も、各地で続々と発明があり、特許制度の復活を求める声も大きくなってきたのである。

外務省外交史料館の外務省記録には明治7年に米国人テイツレルから専売特許請求(B11091537900)、明治9年に独乙人ウィルトから専売特許請求(B11091538000)、明治11年に横浜住平山甚太から専売特許請求(B11091538100)等の記録が残っている(平山甚太については第9回で説明した。)。明治9年1月15日に工部省は米国人テイツレルの専売特許請求の件を拒絶している。

森繁久彌は朝野新聞の初代社長成島柳北の姪孫に当たる。現代においては、センサ等の「モノ」をインターネットに接続する「モノのインターネット(Internet of Things : IoT)」の技術が進化し、IoTを用いた防盗システムも提案されている。今野さんの「防盗機械」は明治7~8年頃には完成していたらしく、当時の青森県令等に披露したとの記録がある(東奥日報社編、「青森県人名大事典」)。「除盗電電機」という名前からして、何らかの電気仕掛けの機械と思われるが、実際はどのような構造のものであったろうか。

§4 特許法は「民法の特別法」といわれているが……

その後、明治18年に専売特許条例が制定され、特許庁の前身である「専売特許所」が設立されている。専売特許条例の制定に際し、明治18年に初代の文部大臣になった薩摩藩の森有礼が尽力しているようである。森有礼は慶応元年(1865年)にイギリスに密航した際、ロンドンで先に密航していた伊藤博文他4名の長州五傑と会い、科学技術の重要性に気がついていた。

長州五傑の密航は、イギリス東インド会社を前身とするジャーディン・マセソン(Jardine Matheson) 商会の2代目横浜支店長だったS.J.ゴーワー(Samuel J. Gower)が手配した船による。長州五傑を迎えて世話をしたのはジェームス・ニコラス・サザーランド・マセソン(James Nicolas Sutherland Matheson)の甥でマセソン商会・ロンドン社長ヒュー・マセソン(Hugh Matheson)である。

森有礼もマセソン商会の長崎代理店であるグラバー(Glover)商会所有の船で密航している。

明治4年の「専売略規則」は指導的立法とされているが、明治18年の「専売特許条例」は必要的立法と言われている。

森有礼の2年後に慶応3年(1867年)に徳川慶喜の弟昭武の警護でパリ万博に派遣され、1年半滞在した元幕臣・渋沢栄一も、専売特許条例の制定に何らかの寄与をしたのではないかと言われている。幸田露伴の「渋沢栄一伝」には、渋沢栄一は明治2年に明治政府の租税司の正に補され大隈重信と伊藤博文の部下になり、明治3年に改正係長になったとき、「専売特許法」の立法を主張したとある(幸田露伴著、「渋沢栄一伝」、渋沢青淵翁記念会、昭和14年、p191-p199参照。)。

特許法は「民法の特別法」といわれるが、旧民法(明治23年法律第28号、第98号)が制定されたのは、明治23年であるので、専売特許条例の制定の方が旧民法より早い。しかも旧民法は施行延期された結果、最終的には施行されていない。更に、明治18年に「専売特許所」が設立される前の明治17年から既に農商務省工務局内商標登録所図書係で図書の閲覧や商標見本の観覧が開始されていたのである。

大日本帝国憲法の発布が明治22年であり、明治政府の最高指導者達は、「殖産興業政策」として技術の重要性に着目しており、なんと憲法の発布よりも先に特許制度を発足させているのである。初代の特許庁長官(当時は「専売特許所」所長) は、生後まもなく仙台藩の足軽高橋覚治の養子になった高橋是清である。

§5 大岡越前守による著作権法

我が国が「ベルヌ条約」に加盟した明治32年(1899年)には「旧著作権法」が制定されている。しかし、明治2年(1869年)に、「図書を出版する者」を保護する規定を持つ「出版条例」が「新聞紙印行条例」とともに公布されており、明治4年の「専売略規則」よりも先である。

1722年(享保7年)の大岡越前守による法令である『町触れ』が知られており、著作権法の先駆は江戸時代まで遡るとする説もある。明治2年の「出版条例」は昌平学校及び開成学校の2校が所管していたようである。「新聞紙印行条例」は、戊辰戦争(函館戦争)当時における佐幕派の新聞を弾圧する目的があったとされている。

享保7年の『町触れ』では、「一何書物よらす、此後新板之物、作者并板元實名奥書為致可申事」と規定されており、「作者並びに板元の実名」を奥付に明記することを義務付けている。

§6 明治時代には「東京特許許可局」という地方局が存在した


「東京特許許可局」とは、早口言葉の一つであって、現実には存在しない。しかし、「専売特許条例」と同じ日に布達された太政官布達第5号「専売特許手続」の第1条には、特許出願は直接当時の農商務省の専売特許所に差し出すのではなく、すべて地方庁を経て出すようにと、規定されていた。実は、「東京特許許可局」に対応する幻の地方局は、東京都内に存在したのである。

現行民法(明治29年法律第89号、明治31年法律第9号)の施行は、専売特許条例が制定された13年後の明治31年である。

§7 初代特許庁長官は「日本のケインズ」「日本のピケティ」

高橋是清は、明治37年に日露戦争 (1904 - 1905) が発生した際には日銀副総裁として戦費調達に貢献し、明治44年には日銀総裁となっている。昭和恐慌で、日本が大不況に陥り金の流出が続いたとき、4度目の大蔵大臣になっていた高橋是清は、昭和6年に金輸出再禁止を断行した。続いて大量の国債を発行して、財政資金を呼び水にして日本の景気にてこ入れをした。

その一方で、原内閣で2度目の大蔵大臣になっていたとき、窮乏化する農村部に財源を与えて自立させることを目的とし、大正8年に臨時財政経済調査会を設置し、大正11年には国税の地租を地方に委譲し、その代わりに国税に一般財産税を創設するという格差社会化の対策を提案している。高橋是清は、地租の委譲によって農村部の窮乏化に対処するとともに一般財産税の導入で都市部に担税力に見合った税負担を求められるようにしようとしたのであるが、委譲についての技術的な問題などもあって、この提案は昭和4年に廃案になった(松本崇著、「恐慌に立ち向かった男高橋是清」、中央文庫、p231-232参照。)。

齊藤内閣で5度目の大蔵大臣になっていた高橋是清は、「できるだけ資本に対する報酬を少なくして以て利子の重圧によって事業家…(中略)…故に労力に対する報酬は資本に対する分配額より有利の地位において然るべきものと考えます。…(中略)…直接生産に従事する人々の報酬を厚くするは、これ人の労務を重しとなす所以でありまして」と昭和8年4月の全国手形交換所連合会の講演で述べている(高橋是清著、「経済論」、中公クラシックス、P433-434参照。)。

高橋是清は、昭和6年に国債の市場操作を通じる景気調節政策を導入して世界恐慌からの脱出に成功し、「日本のケインズ」とも称されているが(リチャード・J・スメサースト著、鎮目他訳、「高橋是清 日本のケインズ その生涯と思想」、東洋経済新報社)、「日本のピケティ」でもある。

高橋是清は大正10年に第20代の内閣総理大臣になったとき大蔵大臣を兼務し第21代大蔵大臣を2回勤めている。その他にも第16代、第28代、第31代(内閣が代わり2回)、第33代の大蔵大臣に請われて就任している。元仙台藩士高橋是清は、総理経験者でありながら、7度も大蔵大臣を経験している金融の専門家だったのである。

しかし、軍事費抑制方針を示したことから軍部と対立し、昭和11年の2.26事件で高橋是清は暗殺される。翌昭和12年に盧溝橋事件が発生し、昭和16年の真珠湾攻撃に至るのである。

§8 明治32 年までは、特許法は民法の特別法ではなかった

現行民法85条に、「本法において物とは有体物を謂う」と規定されており、「物」の概念には特許法の対象とする無体物は含まれていない。そこで、特許法は民法の特別法であり、民法の一般理論が適用される(例えば、金井高志『民法でみる知的財産法』日本評論社等参照。)。

特許権は民法の契約制度及び不法行為制度(民法709条等)により保護されるのであるが、歴史的経緯において、特許法は民法の特別法ではない時期があったのである。即ち、現行民法が制定される以前の明治18年の「専売特許条例」の第19条には、以下のように現行民法709条の損害賠償請求権が既に記載されていた:

第19条 専売人其専売権ヲ侵サレタルトキハ之ヲ告訴シ並要償ノ訴ヲ為スコト得

又、高橋是清が法改正の中心となった明治 21 年の特許条例第 34 条にも

「特許ヲ侵シタル者ハ其特許証主ニ対シ損害賠償ノ責ニ任スヘシ」

と規定されていた。しかしながら、この時点では、現行民法は未だ施行されておらず、特許法は民法の特別法ではないと判断できる。その後、明治 31 年に現行民法(明治29年法律第89)が施行され、不法行為の規定が民法709条に導入されたのである。

なお、旧民法370条(明治23年法律第28)にも、「過失又ハ懈怠ニ因リテ他人ニ損害ヲ加ヘタル者ハ其賠償ヲ為ス責ニ任ス」)と規定されている。

明治31 年に現行民法の施行を受けて明治 32 年に「特許条例」が「特許法」になり、特許条例第 34 条の規定が削除され、特許法は民法の特別法となった。以後、民法709条の規定が直接特許権の訴訟に適用されるようになったのである。明治 32 年の「特許法」は、その年に我が国が加盟したパリ条約との調和を取るものであった。

§9 平成16年の民法改正

平成 16 年改正までの現行民法 709 条は、「故意又ハ過失ニ因リテ他人ノ権利ヲ侵害シタル者ハ之ニ因リテ生シタル損害ヲ賠償スル責ニ任ス」という条文であった。

しかし、平成 16 年民法改正によって、現行民法 709 条は、「故意又は過失によって他人の権利又は法律上保護される利益を侵害した者は、これによって生じた損害を賠償する責任を負う」という規定になった。平成 16 年改正前の「権利」から、「法律上保護される利益」を除いた分が平成 16 年改正後の権利である。特許権は「法律上保護される利益」である。


辨理士・技術コンサルタント(工学博士 IEEE Life member)鈴木壯兵衞でした。
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