鈴木壯兵衞

すずきそうべえ

そうべえ国際特許事務所

[ 弘前市 ]

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コラム

 公開日: 2016-11-20  最終更新日: 2016-11-30

第33回 白熱電球の発明は組み合わせイノベーションの典型例

明治神宮外苑で開催されていた「東京デザインウィーク」のイベント会場で、2016年11月6日に男児が死亡するという痛ましい火災事故が起きた。木製ジャングルジムの展示物を作った学生が発光ダイオード(LED)照明に加えて、白熱電球の投光器を使ったことが原因らしい。ところで、白熱電球は誰が発明したのであろうか。
 

§1 GE社によれば、第25番目の改良発明者がトーマス・エジソン:

 江崎玲於奈博士は2014年10月7日のNHKニュースで、赤崎勇先生らのノーベル物理学賞受賞を祝して、「青色発光ダイオードは、エネルギーを節約できるという意味で、エジソンが発光技術を発明して以来の革命を起こした」と述べられていた。しかし、果たしてトーマス・アルバ・エジソン(Thomas Alva Edison)が「発光技術」を発明したのであろうか。
 
 エジソンは、1878年にエジソンがエジソン電灯会社(Edison Electric Light Company)を設立し、1889年にはこの会社を吸収してエジソン総合電気(Edison General Electric Company)を設立している。そして、1892年にトムソン・ヒューストン・カンパニー(Thomson-Houston Electric Company )と合併し、ゼネラル・エレクトリック(GE)社が誕生している。
 
 このGE社の出版物である『電球年代記』には「電球殿堂入り発明家名簿」があるが、 エジソンは名簿の25番目に登場する(このコラムの第5回及び第10回参照。)。「電球殿堂入り発明家名簿」の一番目は、英国人ハンフリー・デービ(Humphry Davy,)で、エジソンの発明よりも約70年以上遡る1808年にアーク灯を発明している。
 
 デービは、1799年に設立されたばかりの英国の王立研究所(Royal Institution)の化学講演助手兼実験主任に1801年に就任し、1802年には化学部門の教授になった。
 
 森田浩介九州大教授らの理研チームが2003年9月から合成に挑戦し続け、2015年12月31日に発見が認定された113番目の元素について、国際純正・応用化学連合(IUPAC)は2016年6月8日に、名称案を「ニホニウム(Nh)」と発表した。しかし、デービは、ナトリウム(Na)、カリウム(K)、カルシウム(Ca)、マグネシウム(Mg)、バリウム(Ba)、ストロンチウム(Sr)の6つの元素を一人で発見した化学者である。
 
 デービは、ホウ素(B)もジョセフ・ルイ・ゲイ=リュサック(Joseph Louis Gay-Lussac)とルイ・ジャック・テナール(Louis Jacques Th?nard)のフランスの共同チームとは独立して発見しているので、デービは一人で7つの元素を発見している。
 
 エジソンの設立したGE社によれば、発光技術の発明者は、英国の化学者デービということになる。

§2 デービのアーク灯の発明時には、未だ発電機がなかった:

 マイケル・ファラデー(Michael Faraday)が電磁誘導現象を発見したのは、1831年である。このため、発電機に必要な電磁誘導現象やそれを用いた物理法則はデービがアーク灯を点灯したときには知られていなかった。なんと、デービの発明時に、発電機は、未だ存在していなかったのである。なお、ジョセフ・ヘンリー(Joseph Henry)がファラデーより先に1830に電磁誘導現象を発見したが、ファラデーより発表が遅れたと言われている。
 
 ファラデーは王立研究所でデービの実験助手を努めていたが、その後、1833年に王立研究所の特別職である初代フラー教授職 (Fullerian Professor of Chemistry)になっている。120年後の1953年に9代目フラー教授職になったのが、ブラッグの3原則で有名なウィリアム・ローレンス・ブラッグ(William Lawrence Bragg)で、当時最年少の25歳でノーベル物理学賞を受賞した権威であり、フラー教授職 は120年に9人しかいない要職である。
 
 アレッサンドロ・ジュゼッペ・アントニオ・アナスタージオ・ヴォルタ(Alessandro Giuseppe Antonio Anastasio Volta)が1800年に「ヴォルタの電池(Voltaic cell)」を発明し、電池を40~50個接続して2本の炭素棒間でアークを発生させた。
 
 友人のヴォルタが電池を発明したことを知ったデービは、早速、1802年には金属の細い線(フィラメント)に大きな電流を流すと白熱して光を出すことを発見している。更に、この年、デービは、2本の炭素電極に高電圧の電源を接続して、一度接触させてから数ミリメートルの間隔をあけておくと火花が発生して、まぶしい光が(アーク)が発生することも発見した。
 
 オームの法則は、1781年にヘンリー・キャヴェンディッシュ(Henry Cavendish)が自分の体を用いた人体実験で発見していたが、未公開であり、キャヴェンディッシュの死後1879年に『ヘンリー・キャヴェンディシュ電気学論文集』が出版されるまで知られることはなかった。
 
 デービは王立研究所に1801年に採用される際、キャヴェンディッシュの面接を受けているが、キャヴェンディッシュからオームの法則について知らされたかは定かではない。オームの法則を知らずに、金属線が熱抵抗で白熱して光を出すことを発見したと思われる。
 
 「オームの法則」と呼ばれるのは、1826年にドイツの物理学者であるゲオルク・ジーモン・オーム(Georg Simon Ohm)がヴォルタの電池を研究し、再発見されたため、その名を冠しているためである。いずれにせよ、デービの実験の当時はオームの法則は良く解っていなかったと思われる。
 
 なお、少し不確かな情報ではあるが、デービより1年早い1801にフランスのルイス・ジャク・デ・セナード(Louis Jacques de Thenard)が、高い融点を持つ白金(Pt)、イリジューム(Ir)を細い線にしてに金属フィラメントとして、電流を流し熱抵抗で高温にして白熱させ発光させる実験をしたという説もある。デービは1805年に白金が熱抵抗フィラメントに最も適していることに気づいたとされている。
 
 そして、1808年になると、デービは、木炭の細い棒に、ヴォルタから借用した約2000個のバッテリを接続してアークランプの公開の点灯実験に成功した。デービが電気による照明を実証した最初の発光技術の発明者である。
 
 しかし、デービのアークランプの公開の点灯実験には、1800年のヴォルタの電池の発明が大きく寄与していることに留意すべきである。
 

§3 エジソン以前に多数のフィラメントの実験や発明がある

 炭素繊維の白熱電球の実質的な発明者を、1878年の英国のジョゼフ・ウィルスン・スワン(Joseph Wilson Swan)とする説もあるが、以下の表1に示すとおり、炭素繊維のフィラメントの実験者は他にもいるので、正確ではない。ただし、エジソンが白熱電球の開発に着手したのは、スワンの発明の翌年の1879年とされているので、エジソンが白熱電球の発明者ではないことは明らかである。
 
 表1では省略しているが1809年に英国のトーマス・デ・ラ・ルー(Thomas De la Rue)が白金線をコイル状に巻き排気したガラス管の中で点灯させた実験が最初の白熱電球であるとする説もある("The Development of the Incandescent Electric Lamp Up to 1879", Appendix B from the Report of the Lamp Committee, 1928-1929, Association of Edison Illuminating Companies, 1929, pg 4.)。
 
 また、1820年に1815年生まれのトーマスの子であるウオーレン・デ・ラ・ルー(Warren De la Rue)が、5歳のとき 白金線をコイル状に巻き排気したガラス管の中で点灯させたと言われているが年齢からして信頼ができないので表1では省略している。
 
 1820年に実験したのはスイスのオーガスト・デ・ラ・リーベ(Auguste de la Rive)であるとも言われている(History of Light and Lighting, G. W. Stoer, Philips Lighting Division, Eindhoven, The Netherlands, 1986, pg 20.)。いずれにせよ、実用にはならなかったようである。
 
 なお、アーク灯に関しては1834年に英国のウイリアム・エドワーズ・ステイト(William Edwards Staite)がアーク灯の研究を開始したとされている。ステイトは、ランプの構造やその製造方法についての多くの特許を取得し、1836年には、炭素棒を時計仕掛けで駆動する方式も開発している。
 
 【表1】エジソン以前の白熱電球のフィラメントの研究

 表1から竹を炭化したフィラメントは、エジソンより先に、米国に移住したドイツの時計職人ハインリッチ・ゴーベル(Heinrich Goebel)が発明していた事実が分かる。ゴーベルは1854年に竹を炭化したフィラメントを使用した電球を作ったが特許出願はしなかった。

 天体望遠鏡の販売で生計を立てていたゴーベルは、「竹ひご」を使った白熱灯でワゴンを照らし顧客の目を引き付けた。後にゴーベルが宝石店を開店したときも「竹ひご」を使った電球でショーウィンドを照らしたとされる。

 1893年の裁判所の法廷では、エジソンから特許侵害で訴えられたビーコン真空ポンプ電機会社(Beacon Vacuum Pump and Electric Company)等の会社が、ゴーベルの発明がエジソンよりも早かったことを理由にエジソンの特許無効を主張したが、証拠がないということで認められなかった。
 
 しかし、ゴーベルの死後、1923年になって、竹を炭化したフィラメントを使用した電球の真の発明者はゴーベルであることがドイツ等の複数の国で認められている。

 表1の1874年のヘンリー・ウッドワード(Henry Woodward)とマシュー・エバンス(Mathew Evans)のカナダ特許第3738号は、エジソンに専用実施権が付与されている。ウッドワードが単独で1875年に米国特許商標庁(USPTO)に出願して取得した米国特許第181613号はエジソンに権利譲渡されている。
 

§4 白熱電球の発明には真空技術の進展が必須:

 表1に示した1835年の ジェームス・ボウマン・リンゼイ(James Bowman Lindsay)や1838年のJ.B.A.マーセリン・ジョバール(Marcellin Jobard)及びその弟子ジョバード・デ・チャンギィ(Jobard(be) Ch. de Changy)の実験では、ガラス管の中の空気を抜いて排気した環境ではフィラメントが長持ちすることがわかった。

 即ち、白熱電球の発明には表2に示したような真空技術の開発が必須である。特に、表2に示したハーマン・スプレンゲル(Herman Sprengel)が1865年に高効率の真空ポンプ(スプリンゲルポンプ)の発明をしたことが、白熱電球の発明に非常に重要であったとされている。

 エジソン自身も、1881年にスプリンゲルポンプを改良して米国特許第248433号を取得している。エジソンは他に、米国特許第248,433号、米国特許第 263,147号、米国特許第266,588号、米国特許第 251,536号等の真空ポンプの特許を取得している

 このように、白熱電球の発明にはエミュレーション(emulation)の外部技術としての高効率真空ポンプの発達が必要であったことが分かる。ここで「エミュレーション」は、「競争的模倣」とも言われ、模倣だけでなく、何か外から別の技術を連結したり融合させたりすることを意味する:
 
       (競争的模倣)=(模倣)+(外部技術)
       
【表2】真空ポンプの発展

§5 エジソンは白熱電球の技術のどの部分を発明したのか:

 表1に示したとおり、竹を炭化したフィラメントがゴーベルの発明であるとすると、エジソンは図1に模式的に示した白熱電球の技術の内で、どの部分の構成要素を発明したのであろうか。
 
 エジソンの全特許の約40%の424件が照明(発光技術)関係の特許であり、その内ランプ関係の特許は約150件である。424件の内、ランプ関係を除くと、電力送電関係の特許が主である。
 
 エジソンの偉大な点は、単にランプの発明に留まらず、これを各家庭が使用できる送配電事業に拡げたことであろう。1880年代の外部技術の背景では、1880年代後半のニコラ・テスラ(Nikola Tesla)陣営と電流戦争ではエジソンの直流送電技術は敗北した。

 しかし、1950年に西澤潤一先生(元東北大総長)により発明されたpinダイオードと、1970年代中期に西澤潤一先生により発明された静電誘導サイリスタ(SIサイリスタ)という2つの新たな外部技術の登場により、今やエジソンが提案した直流送電技術は、グローバルなスマートグリッド構築による世界のエネルギー問題の解決に寄与せんとしている(このコラムの第6回及び第22回参照。)。
 
 ランプ関係に着目すれば、白熱電球には内部を真空にするためのガラス球の技術が必要である。エジソンはドイツで修行したL.K.ボェーム(Boehm)というガラス職人を採用している。白熱電球の内部を真空に維持するためには、ガラス封じの技術が必要になる。
 
 ガラス封じの技術は、ジョゼフ・ウィルスン・スワンの一番下の弟であるアルフレッド・スワン(Alfred Swan)が1887年に発明している。米国ではアルフレッド・スワンを発明者としてGE社から1901年に出願し、1904年に発行された米国特許第774708号がGE社の特許として登録されている。
 
 アルフレッド・スワンは、米国特許第774708号の取得前に、米国特許第292447号、米国特許第313965号、米国特許第439365号、米国特許第439366号、米国特許第439367号、米国特許第516844号等の白熱電球の口金関係の特許を取得している。
  
 【図1】白熱電球の構成要素

 1900年頃の白熱電球の口金には15種類ぐらいのものがあったとされている。そのうち、エジソンのねじ込み式の口金の市場占有率が70%、トムソン=ヒューストン社(Thomson-Houston Electric Company)の口金の市場占有率が15%、ウェスティングハウス・エレクトリック社(Westinghouse Electric Corporation)の口金の市場占有率が10%であったとされる。
 
 しかし、エジソンは、既存のソケットにエジソンの白熱電球が使えるアダプターを用いて販売し、標準化に成功し、最終的に現在まで、エジソンのねじ込み式の口金が「エジソン口金」の名称で残っている。エジソン口金は現在のLED電球でも使われている。
 
 実は炭素繊維のフィラメントが使われた期間は短い。1904年になると、アレクサンダー・ユスト(Alexander Just) と フ ラ ン ツ・ ハ ナ マ ン(Franz Hanaman)によって、押出タングステンフィラメントを使ったタングステン線フィラメントが実現された。
 
 タングステン線フィラメントを用いた電球の基本特許がユストと ハ ナ マ ンの共同発明として、1905年に出願され、1912年に米国特許第1018502号として権利化された。このタングステン線フィラメントの特許はGE社に譲渡された。
 
 GE社でも、1908年ころからウイリアム・デービッド・クーリッジ(William David Coolidge)は、線引きタングステンの改良研究が具体化され、1911年にタングステンの細線化に成功し、1912年に特許出願し、1913年に米国特許第1082933号として権利化され、その後、LED電球が出現するまでタングステン線フィラメントを用いた白熱電球の時代が続いたのである。
 
 白熱電球がLED電球によって淘汰されてもエジソン口金は「発光技術の発明」として、生き残るのである。なお、アルフレッド・スワンの技術は、エジソン口金の改良に貢献しており「エジスワン口金」とも称される。
 
 1883年にエジソン電灯会社(Edison Electric Light Company)とスワン電灯会社(The Swan Electric Light Company)とが連合してエジソン & スワン連合電灯会社(the Edison and Swan United Electric Light Company)が設立されていたので、アルフレッド・スワンの技術はエジソン口金(エジスワン口金)の改良に用いられていたものと思われる。

 【図2】エジソン口金(米国特許第426762号)

 エジソン口金の発明にはアルフレッド・スワンが寄与していることにも、十分に留意すべきである。

§6 発明とは、既存の技術の組み合わせである

 
 ヨーゼフ・アロイス・シュンペーター(Joseph Alois Schumpeter)は、「使用価値の増大は、商品の生産コストの削減によってだけでなく、生産要素を全く新たな組み合わせで結合(neue bindung)する技術革新によってもたらされる」といっている(J.A.シュンペーター、『経済発展の理論(上・下)』、 岩波文庫、 1977年)。経済発展の理論で、シュンペーターは、「発見(Erfindung)」という言葉を使っていないことに留意すべきである。
 
 偉大な発明は技術的な組み合わせで発生するものであり、偉大な天才によるものではないのである。ジェームス・W・ヤングは、「アイデアとは既存の要素の新しい組み合わせ以外の何ものでもない」と指摘している (ジェームス・W・ヤング『アイデアのつくり方』)。
 
 1439~1450年頃とされるグーテンベルク(Gutenberg)の印刷機の発明は「組み合わせイノベーションの典型」である。即ち、ブドウのねじ式圧搾機の技術と、活字の技術と、インクの技術と、紙の技術の組み合わせで印刷機が発明された。
 
 ブドウのねじ式圧搾機は、ローマ時代のプリニウスの『博物誌』に記載があるとされる。活字も11世紀に中国の畢昇が考案したとされる。
 
 【図3】印刷機の発明は組み合わせイノベーションの典型 

 今回の説明で、白熱電球そのものの発明に対するエジソンの技術的な寄与はそれほど大きくないことが理解できるであろう。エジソンの功績の最大のものは白熱電球を普及させたビジネスマンとしての功績である。
 
 白熱電球の発明も唯一人の天才によるものではなく、フィラメントの開発という内部技術だけでなく、電池を発明したヴォルタや、高効率の真空ポンプの発明をしたハーマン・スプレンゲル等の複数の外部技術がなければありえなかったことに十分に留意すべきである。
 
 辨理士・技術コンサルタント(工学博士 IEEE Life member)鈴木壯兵衞でした。
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