鈴木壯兵衞

すずきそうべえ

そうべえ国際特許事務所

[ 弘前市 ]

職種

コラム

 公開日: 2016-05-08  最終更新日: 2016-11-07

第30回 商標の歴史:室町時代に商標の使用差止請求訴訟があった

一般には1857年のフランス商標法が世界最初といわれているが、我が国では既に室町時代に商標の使用差止請求の訴訟があった。更に江戸時代においては当時の世界最大の都市「江戸」において広告の効果の測定がなされていた。

§1 フランスの「製造標及び商業標に関する法律」が世界最初の商標法とされてはいるが

 網野先生は、1803年にフランスに「工場製造場仕事場に関する法律」が制定されて、商標盗用が私文書偽造罪とされたが、商標自体を財産権として保護するものでなかったと述べられている。更に、網野先生は、1857年のフランスの「製造標及び商業標に関する法律」が世界最初の商標保護に関する一般法の出現であると述べている(網野誠著、『商標(第3版)』、有斐閣、1977年、p9-10)。
 
 例えば、1857年の商標法の公布によって、図1に示すようにプジョー兄弟社(Peugeot-Freres et Jacques Maillard-Salin)は1858年にライオンマークを商標登録している。しかし、商標法公布前の1850年には、既にプジョーの主要製品である鋸の刃等の工具にライオンマークの刻印がされていた。
 
【図1】

 その後、図1に示すように、イギリスでは1862年に虚偽表示を禁止する商品標法が制定され、アメリカでも1870年に始めて連邦法として商標登録に関する統一的立法が制定されている。

 又、ドイツでは1874年に無審査主義に基づく商標保護法が制定され、マイセンが1875年に双剣のマークを商標登録している。マイセンは、1722年よりアウグスト王の紋章である双剣を「国立マイセン磁器製作所」の窯印として使う許可を得ていた。
 
 1874年の商標保護法の制定の前に、ドイツのファーバー・カステル(Faber-Castell)社の4代目の経営者ローター・フォン・ファーバー(Lothar von Faber)は1839年に全製品(鉛筆)に会社名A.W.FABERを刻印していた。
 
 図1には省略しているが、ドイツはその後1894年に審査主義に変更した。

 我が国では、「専売特許条例」が公布される前年の1884年に「商標条例」が制定されている。

§2 室町時代に六星紋の商標使用の差止請求訴訟:

 応永33年(1426年)に北野神社西宮神人の調査した酒屋名簿(『北野神社文書』)によると京都で営業を公認された酒屋347軒あった(佐々木銀弥著『日本商人の源流』、教育社、1981年、p132)。その中で、「四郎衛門、五条坊門西洞院南西頬 定吉」と所見される柳屋の「柳の酒」が最も有名であったとのことである(図2参照。)。
 
 柳屋は「柳の酒」の樽に六星紋を付けたが、「柳の酒」は普通の酒の約2倍で売れたので、偽造品が出回るようになったそうである。そこで柳屋の当主・仲興家俊が室町幕府に対し、他の酒屋の六星紋の使用差止請求をした。
 
 その結果、1478年に担当奉行の布施英基と飯尾貞康が連署した『室町幕府奉行人奉書』が発行され、柳樽に用いられた六星紋の商標の柳屋の独占使用権が公認され保護されたようである。以後室町幕府が同業者全体に賦課する酒屋土倉役の10%以上を柳屋が負担するまでに成長したとのことである。
 
 東京経済大学名誉教授の八巻俊雄先生によれば、図2に示すように、江戸時代の1650年代にも、京都の柳屋が江戸幕府に商標使用差止の訴訟を提起したとのことである(八巻俊雄著、『江戸期のブランディング』、アド・スタディーズ(AD STUDIES)、第3巻、吉田秀雄記念事業団、2003年、p.9-13)。
 
 室町時代に隆盛を極めた京都の酒屋は、江戸時代になると、次第に京都以外の土地でも高い技術を持った「他所酒(よそざけ)と」と呼ばれる造り酒屋があちこちで生まれ、他所酒が京都の酒よりも安い値段で京都市場に流入した。京都の酒屋はその都度、他所酒の販売差し止めを朝廷や幕府に要求したようである。
 
 『京都町触集成』によれば、江戸時代の1698年に京都町奉行所が「隠れて他所酒を飲む者があったら処罰する」旨の触書を出している。しかし、伊丹酒の名声が次第に高くなりはじめると京都酒が衰退することになる。

 1657年には京都・伏見の酒造家は83軒であったが、1833年には27軒にまで激減してしまったそうである。伏見で 江戸末期まで酒造業を続け得たのは、現在の月桂冠(笠置屋)と北川本家(鮒屋)の2軒だけであり、現在柳屋は存在していない。
 
 【図2】

  図2に示したように、伊丹の小西酒造の清酒の銘柄「白雪」の登場は1635年とされるが、清酒の銘柄の登場の最初は前述した京都の「柳の酒」である。銘柄の登場により、酒造家は銘柄の名にかけて良い酒造りに精進するので、商標の品質保持機能が働く。

 小西酒造には、『造酒秘伝書』が伝わっているが、1752年に柴原救長が筆写したことが分かっているだけで、成立年代は不明である。その他、1686年以前に成立したであろうとされる『童蒙酒造記』や、成立の年が不明な『酒造肝要記』『伊丹摂津満願寺屋伝』等の江戸時代のノウハウ書が後日発見されている。商標による品質保持だけでなく、銘柄の登場は酒造家のノウハウ技術を基軸とした酒造技術を発展させ、酒質を著しく向上させているので、江戸時代に知的財産経営がなされていたと言えよう。

 伊丹酒の名声が高くなると、逆に京都酒の樽にわざわざ伊丹酒の銘を焼印するような偽装表示をする逆転現象も江戸時代後期には起こったということである。

 1799年に木村兼葭堂が初版を発行した『日本山海名産図会』の第1巻には伊丹の酒の商標の一覧表がある。差し詰め、商標公報の先駆けとも言うべきものであろう。なお、図2に示すように、1467年~1470年に武家の家紋を集録した『見聞諸家紋』が出版されている。

§3 既に江戸時代に商標の宣伝効果の測定がされていた:

 図3に示すように、室町時代の1590年に業祖とされる蘇我理右衛門が京都に銅精錬業を営む銅吹所泉屋を設立したのが、住友財閥の起源とされている。泉屋の「いずみ」を表すものとして「井桁」が商標として用いられたとされている。

 【図3】 

 本格的に泉屋住友が銅業を営みはじめたのは元禄3年(1690年)4代目友芳の時である。17世紀末から18世紀初めにかけて、日本は世界一の銅の産出国となるが、元禄時代の日本銅の1/3は、泉屋住友の銅であった。
 
 一方、図3に示すように、三井財閥の先祖とされる三井高俊の四男三井高利が、1673年に越後屋呉服店を開業している(三井の越後屋は、後に「三越」となる。)。三井高利は1677年に「丸に井桁三」のシンボルマークを越後屋呉服店の暖簾に使用している。
 
 驚くことに、三井高利は、1683年に広告(約60万枚撒いた引札)と売上高の関係を測定している。越後屋はその後1794年と1840年にも売上高と利益に対する広告の効果を測定している(吉田秀雄記念事業団編集部、『江戸時代の広告活動』、アド・スタディーズ(AD STUDIES)、第5巻、吉田秀雄記念事業団、2003年、p.4-10)。
 
 三井家は高利の死後11家に別れたが、高利が遺した家訓により、「三井十一家」として相互に守り合う制度によってのれんを守っている。NHK連続テレビ小説「あさが来た」の今井家のモデルは、三井高利の九男高春の子孫三井小石川家である。

 高利の母親三井殊法は倹約家であり、越後屋商法の基礎を築いたとされる。1676年(延宝4年)の死に際し、殊法は「私はもうすぐ息を引き取ります。死ねば手足がこわばってくるでしょう。そうすれば大きな棺が必要になって、それだけ無駄な費えがかかります。だから、今から手足を縮めておきましょう」と言ったと伝えられている(左方郁子著『江戸の経営コンサルタント』、博文館新社、1988年)。
 
 なお、1712年には国分勘兵衛宗山が、「大国屋」を開業「亀甲大」印の醤油を売っており、1717年には下村彦右衛門が大丸を開業し、○に大の字の商標を風呂敷等に使用している。このように、5代将軍綱吉(1680-1709)から10代将軍家治(1760-1786)までの江戸時代中期には、既に商業活動に商標が使われ、マーケティングや広告の原型がなされていたことが分かる。
 
 ピーター・ファーディナンド・ドラッカー(Peter Ferdinand Drucker)は「マーケティング…(中略)…欧米で最初の人は、サイラス・H・マコーミック(1809-84)であろう。…(中略)…。東洋では、マーケティングはさらに早くから起こっていた。………。マーケティングは、日本で1650年ごろ、三井家の始祖が商人として東京に定住して、最初の百貨店とでもいえるものを開業したときに発明された」と指摘している(P.F..ドラッカー著、野田一夫・村上恒夫監訳、『マネジメント〈上〉―課題・責任・実践 』、ダイヤモンド社、1974年、p.95-96)。
 
 P.F.ドラッカーは、上記の『マネジメント〈上〉―課題・責任・実践 』のp96において、「三井高利は米国の百貨店シアーズ・ローバック(Sears, Roebuck and Company )の基本方針を250年も前に先取りしていた」という趣旨の内容を述べている。シアーズ・ローバックは、1925年に インディアナ州に百貨店を開店して本格的に小売業に進出し、世界最大の小売企業に成長している。

 高利の三男高治が執筆した『商売記』には「宗寿(高利)らが天下に名を知られたほどの商人となったのは、ひとえに殊法様の血を受けたからだ。まこと三井家商いの元祖は殊法様である」と記載されている。全世界のマーケティングの開祖は、三井殊法なのかも知れない。 

§4 「杜康」が最古の商標か?:

 図4に示すように、日本最古の酒屋は、現在の茨城県笠間市に1141年に創業した「須藤本家」といわれているが、その約100年前の1040年に現存する世界最古のビール工場ヴァイエンシュテファンが醸造所としてドイツで認可されている。
 
 ドイツではビールのジョッキに創業の年が記載されているが、ヴァイエンシュテファンのビールのジョッキに現在のマークが付されていたか否かは不明である。なお、ドイツのクルムバッハで発見されたビール・ジョッキは、紀元前800年頃のものとされているのでビールのジョッキそのものは1040年当時に存在していたと思われる。
 
 【図4】

 現存する世界最古の企業は、図4に示すように飛鳥時代の578年に、大坂に四天王寺のお抱え宮大工として創業された金剛組である。初代の金剛重光は百済の工匠と言われている。日本書紀に「百済に行った使者が造寺工を連れ帰り難波に住まわせた」という趣旨の記述があるそうである。
 
 右上に直角がある「曲尺(まがりかね)」の内側に「剛」の字を配した「かねごう」のマーク(家紋)がいつ頃から金剛組が使用していたかは不明である。しかし、ブランド価値が1400年以上持続出来ているということは驚異である。
 
 ビールの商標の最古のものは不明である。しかし、中国の後漢末期の208年に長江の赤壁で曹操軍と孫権・劉備連合軍が争った「赤壁の戦い」の前の晩に宴会が開かれ、曹操が「唯有杜康(唯だ杜康有るのみ)」と謳ったとされるのが「短歌行」である。
 
 『短歌行』は楽府と言われる民謡を指す言葉なので、『短歌行』は民衆の詩であって曹操が創作した詩ではない。この「短歌行」に出てくる「杜康(とこう)」とは、後漢(25~219年)末から三国時代(220~263年)においては、醸造酒の出所を表示する商標であったと思われる。

 昭和56年(1981年)に南津軽郡田舎館村垂柳遺跡から弥生時代中期の水田区画が見つかっている。弥生時代の後期において、卑弥呼が中国の魏に使いを送り、「親魏倭王」の名を許されたのが239年と言われている。この弥生時代の後期における「杜康」は、中国で初めて酒をつくった人(神様?)の名であるという説もあり、「杜康」を「杜氏」の語源とする説もある。
 
 河南省伊川県、河南省汝陽県、陝西省白水県が杜康の故郷とされる。現在の「白酒」を杜康酒という場合もあるが、「白酒」は「コーリャン」が主原料の無色透明で25度~65度の蒸留酒である。中国の蒸留酒作りは元代から始まったとされているので、『短歌行』の時代の醸造酒とは品質が異なる酒である。
 
 「杜康」が、後漢末から三国時代においては商標であったと思われるが、現在、「杜康」が商標の機能を有しているかは不明である。

 中国では北宋時代(960 - 1127年)に山東省西部の済南市(済南府)にあった劉家という店が細針製品に付した図形商標である「白兎商標」を、最古の完璧な設計による商標としているようである。現在、上海博物館に所蔵されている銅板に『濟南劉家功夫針鋪』と刻印されているが、これが世界最古の広告チラシの印刷用の原版といわれている。

 済南府は黄河文明の中心の一つと見られているようであるが、明代(1368 - 1644年)から山東省の省都となっている。済南府は、宋代には商工業が大きく発展し、中国中で税収の最も多い地区の一つに数えられていたようである。 
 
 辨理士・技術コンサルタント(工学博士 IEEE Life member)鈴木壯兵衞でした。
   そうべえ国際特許事務所ホームページ http://www.soh-vehe.jp
 

この記事を書いたプロ

そうべえ国際特許事務所 [ホームページ]

弁理士 鈴木壯兵衞

青森県弘前市富士見町26-2 [地図]
TEL:0172-55-5397

  • 問い合わせ

このコラムを読んでよかったと思ったら、クリックしてください。

「よかった」ボタンをクリックして、あなたがいいと思ったコラムを評価しましょう。

0

こちらの関連するコラムもお読みください。

<< 前のコラム 次のコラム >>
最近投稿されたコラムを読む
お知らせ
イメージ

中国習近平国家主席が山東省青島を中国の知財戦略の重要拠点として指名しましたが、 そうべえ国際特許事務所所長鈴木壯兵衞が、2015年12月19日付けで、3年間の期限で、...

料金案内

1.電話相談やeメール相談は無料です。面談(フェイス・トゥ・フェイスのご相談)につきましては、1時間以内は無料です。2回目以降、何度でも、1時間以内であれば無料で...

 
このプロの紹介記事
鈴木壯兵衞 すずきそうべえ

技術者を愛する弁理士として地場産業の発展と人材育成に力を尽くす!(1/3)

 「青森の人は、特許を取ると独占権が与えられ、農林水産業に従事する人が困ると思っている。でもそれは間違った考え。特許は苦労して生み出した新しい技術を、必要な人に活用してもらうのが目的であり、これは、大企業など特定の人に独占させないための権利...

鈴木壯兵衞プロに相談してみよう!

青森放送 マイベストプロ

技術者としての経験を生かし、発明の創出方法と特許出願方法を

事務所名 : そうべえ国際特許事務所
住所 : 青森県弘前市富士見町26-2 [地図]
TEL : 0172-55-5397

プロへのお問い合わせ

マイベストプロを見たと言うとスムーズです

0172-55-5397

勧誘を目的とした営業行為の上記電話番号によるお問合せはお断りしております。

鈴木壯兵衞(すずきそうべえ)

そうべえ国際特許事務所

アクセスマップ

このプロにメールで問い合わせる
プロのおすすめコラム
第34回 「結露するから冷凍設備が止められない?」のでは、知恵が足らない
イメージ

2016年11月17日付け毎日新聞等の新聞各紙によれば、東京都水産物卸売業者協会が、延期に伴う1ヶ月の損害額が4億...

[ 発明の仕方 ]

第33回 白熱電球の発明は組み合わせイノベーションの典型例
イメージ

明治神宮外苑で開催されていた「東京デザインウィーク」のイベント会場で、2016年11月6日に男児が死亡するという痛...

[ 発明の仕方 ]

第32回 ドナルド・トランプと髙橋是清
イメージ

                MAKE AMERICA GREAT AGAIN 2016年の米国大統領選挙に勝利したドナルド・ト...

[ 特許制度の意味 ]

第31回 必要が発明の母なのか、発明が必要を生むのか
イメージ

2016年のノーベル医学生理学賞を受賞した大隅良典先生は、基礎研究の重要性を説かれている。基礎研究から発明が生...

[ 発明の仕方 ]

第29回 青森県の特許の登録率が全国平均よりも低いのは何故か?
イメージ

青森県の特許出願件数が少ないのは問題であるが、それだけではなく特許出願の質の向上にも考慮が必要である。 §...

[ 特許明細書の書き方 ]

コラム一覧を見る

スマホで見る

モバイルQRコード このプロの紹介ページはスマートフォンでもご覧いただけます。 バーコード読み取り機能で、左の二次元バーコードを読み取ってください。

ページの先頭へ